とりわけ広島に住む僕にとっては、ネイバーフード、ソウルフードである。
食べ物、とか、味っていうのは、その人の記憶と結びつくから「うまい」と感じるのだ。
旅先で何かを喰って「うまい!」と感じるのは、その土地全体を体験しているせいもある。
いや、というのも実は・・・
今日、テレビで薄っぺらいお好み焼紹介をしていたので、ちょっとこれを書く気になった。
いやふざけるな、というような内容だったので、これは正しいお好み焼理解を促進せねば・・と。
お好み焼は、実に深く、うまい。
これを読めば、あなたもきっと「お好み焼」が今以上に美味く感じられるはず。
特に、広島在住の人はどうか、心して読んで欲しい。
お好み焼の偉大なる軌跡: The Great History of Okonomiyaki
~はじまりは、「それしかなかった」~
お好み焼は、戦後生まれた食べ物である。
終戦直後、まさに焼け野原であった広島には、文字通り「なにもなかった」。
ただし人間って意外とたくましいもので、例えば広島の人々は原爆投下後わずか3日後には、
市内電車を復活させていた。逆を言えば、打ちひしがれるにもそれなりの余裕が必要なのかもしれない。
そんな中、今のカタチのお好み焼が誕生する背景には、3つの「ない」があった。
この3つの「ない」が、人々の手によって、今の芸術とも言われる食べ物に昇華していったのだ。
美しいお好みストーリーは、生きる勇気すら与えてくれる。
1.食材が「ない」
広島のお好み焼の特徴は(ちなみの広島の人は絶対に「広島風」とは言わない。言う人のことを信じない)、
なんといっても豊富なキャベツ。
この豊富なキャベツを蒸し焼きにすることで甘みを生み出し、お好み焼の深みの土台となるのだけども、
逆に当時は「キャベツしかなかった」のだ。
お好み焼の原型は「一銭洋食(いっせんようしょく)」といわれている。
これは戦前のファーストフードで、水に溶いた小麦粉を鉄板の上に伸ばしてネギを乗せて焼いたものだ。
小学生のおやつ、ぐらいな感じ、だったらしい。
なぜ「洋食」かといえば、「ソースをかけたから洋食」、という今ではピンとこない理由からだ。
戦後、食材がない広島では、どこでも育って、かつボリュームもあるキャベツが、腹を満たすスグレモノだった。
そこで、キャベツメインで焼こう!と誰かが思いついたのが始まり。当時は豚肉もなかった。
(メインっていうか、それしか焼くものがなかったら、「思いついた」というほどでもないのかも・・)
そして、生地を折らずに丸く伸ばして、キャベツをのっけ、また生地をのっけ、ソースを塗ってできあがり。
ボリュームも増えて、本当にささやかながらも、主食へとなっていった。
2.働き手が「ない」
今でも広島のお好み焼き屋の屋号は、「○○ちゃん」という風に、女性の名前が多い。
なぜ女性?・・・これは当時、働き手であった夫を亡くした女性が非常に多かったから、
という悲しくもたくましく生きた女性たちの時代のなごりである。
また、元手も非常に少なく済んだらしい。
というのも、お好み焼には鉄板が重要であるが、そこは当時の戦都、広島。
戦争のために生産されていた鉄板を流用した(できた)、というのが大筋の流れらしい。
(“らしい”というのは、もうこの“鉄板入手”の部分はいろんな証言がありすぎて、コレ、という正解がない)
かくして、自らや子供のために屋台をおこし、資源のない中、
ひたすらお好み焼を焼いた女性たちの姿が戦後の広島には多く生まれたのである。
(いまでも信じられない数のお好み焼き屋がある)
そして広島の人々は、そういったお好み焼を食いながら大きくなり、
自らの街を復興させるパワーを生み出した。そう、お好み焼は、元気の象徴なのだ。
3.資源が「ない」
広島のお好み焼は、正式には「へら」で食す。
「はし?ははは、○○もまだ子供だなぁ」のノリである。
広島でお好み焼を食うときに箸を使うのは、子供か観光客ぐらいである。
コレは観光客から見ると、そこそこ異様な光景らしい。
なぜ、広島では「へら」を使うのか?
簡単に言えば、箸がなかったからである。割り箸高いし、割り箸じゃなくてもすぐダメになるし。
へらなら丈夫だし、鉄板の上でお好み焼を食べる時、便利だし、洗い物もなくていい。
(すべて鉄板の上で完結する潔さ。箸も皿も使わない。屋台においては好都合)
この「ない」ことが、今のお好み焼の「うまさ」の最大の秘訣である。
ハッキリ言って、鉄板の上にないお好み焼など、真のお好み焼とは言えない。
鉄板の厚さが熱のめぐりを左右し、それがお好み焼の焼き加減に影響し、
口に運んだ際の「熱さ=うまさ」になるのである。
「えー、やけどしちゃうじゃん!」とか、「ワタシ猫舌だから」とかいう奴は、単に不器用なだけ。
熱々のお好み焼をヘラで切り、
ふーふー吹きながら、「熱いけどヤケドしない」温度で食べるのが正しいお好み焼の食し方である。
ちなみに、本当は最初にお好み焼をいくつかに分割する食べ方もNGである。
(詳しくはお店で聞いてね)
以上、かなり長くなったが、お好み焼の大切なポイントはおさえたつもり。
(本当はまだソースに触れてないんだけど、そこは許してください)
これら3つの「ない」が組み合わさって、そこに人々の創意工夫が加えられ、
今のお好み焼になっているのである。
お好み焼は何もないところから生み出された広島のソウルフードである、
ということが少しでも伝わればと思っている。こんな食べ物は他に類を見ない。
食べ物は「うまけりゃ何でもいい」わけだけども、
一方で、食べ物は「人間の記憶と結びついたひとつの文化」でもあるわけで。。
さあ、これであなたも明日からまた新しい気持ちでお好み焼に向かい合えるはず!(・・かもね?)
願わくばコレを読んだあなたが、
目の前で「なにもない」ところから粉やキャベツを使って、魔法のような手さばきで、
複雑な香りのハーモニーをつくりだすお好み焼の魅力を目の当たりにする時、
これらの話を少しでも頭に浮かべてくれたなら、広島の人としては、とても幸せです。
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