5.25.2011

新しいものをもたらす

ある認識のカタマリに、
“別の”認識を持ち込む作業。

世界が変わるというのは、
世界が変わって見える、
そう認識されるから。


そのため、価値観に働きかけることが必須。
その人の中での、優先順位、
つまり「自分との関わり度」の認識を変える。
これが、世界に対する認識を変えること。

つまり、世界を変えること。








5.16.2011

無用の用 /育成について

人材育成という言葉があって、
人材は育成できるもの

という幻想がある。

そのある程度は真実だし、
ある程度はやはり幻だ。


その幻想はこう言う。
あなたには欠けているところがある。それを埋めてあげましょう。だって私にはそれが分かるのですから。


まるで人間に、“完璧な形”があるかのような、そんなアプリオリな前提に立っているのだ。


言い換えれば、人材育成と言う言葉は、
ヒマワリの種に水をやってバラに育てます

という意味で使われる事が多い。
まぁ、少なくともかなり近い意味で。


「必要な人材像」に終始すると、そんな発想になりやすい。

大切なのは、実際の人間と、必要な人材像の両方からスタートし、もっとも高い可能性を探ることだろう。

ヒマワリをバラに育成することはできない。

欠点を埋めるのではなく、欠点の周りにあるものに着目するのはどうだろうか。

そうしたとき、(飛躍するようだが)欠点は大きなブラックホールまたは引力になり得るのではないだろうか。


つまり、無いという認識が、育成の妨げとなる。

無いという認識から、埋めるという行為が想起され、結果無駄になる。
我々はみな空白恐怖症で、それはスキルマップのヴォイドを許さない。


それは特定のスキルかもしれない、それは憧れかもしれない。

本来の形に、幻影を重ねて、あれがない、と必死で埋め始める。
しかし本来の形以外には、結局なりようがない。


しかも、ほとんどの仕事はコミュニケーションの中で成り立つ。
そのため、特定の欠けているスキルを伸ばそうとする行為は独り相撲となる場合が多い。



有る/無いという概念は、ある視点を表しているに過ぎない。

何かが無いと思ったとき、対象とのコミュニケーションを変化させることはできるだろうか。


例えば、スキルの有る/無しは、成果と直接の関係はない。
状況の有る/無しは成果と直接の関係はない。
であるならば何にこだわるだろう?

常に何か有り、何か無い中で、
成果を上げるには、
無い、ということが実はただの有るの反対ではなく、また別の有るを生み出す可能性であることを知る必要がある。
それは直接の事象ではなく、それらを生み出す環境のようなものだ。

器が役に立つのは、それが空っぽだからである。 老子


我々は、何かが無いということに対して、それが却って力を発揮するようなプランを必要としている。

それが組織でも、個人でも。

常に有無の概念は互いにコミュニケーションしている。
それらを俯瞰することが必要だ。


だから育成とは、
テクニックを育てるのではなく、
テクニックを使う人を育てることをいうのだ。

無い、を埋めることが育成ではない。
それを利用することである。




5.05.2011

ビンラディン殺害

ウサマ・ビンラディンがアメリカ政府によって殺害されたというNewsが駆け巡っている。

ひとりの男がいかにしてテロ・スターになり上がり、
恐ろしいほどの多数の殺人者集団を鼓舞し、
そして実行したかの物語がある。

そして、さらに恐ろしいほどの多数の集団が、
ひとりの男に向かって銃を突きつけ、衛星を使い、
情報網を駆使して、殺害に至るまでの物語がある。


人間の歴史は、殺したり、殺されたり。
だが、今の時代に、ひとりの男の死を
これほどまでに喜ぶ風潮はやや違和感を覚える。
国会議事堂の前で「USA」コール。自慢げに記者会見する大統領。
それはまるで飛行機がビルに突っ込んだ時に放映された、
「喜び踊るアラブ民衆の姿」とダブるからだ。
(けれどあれはヤラセ映像だったらしいので、メディアはあまり信用ならないけど)

目立つ部分、際立った部分を報道したがる世界中のメディア。
つまりそれは完璧な悪人か、完璧なヒーローかを作り上げたがる。
そのための材料が足りなければ「編集」すればよい。

ただ、今はもうすでに誰かを殺すことによってヒーローとなるのは、
違うのではないかと思う。
今のメディアの関心は「いかに殺されたか」に移っているけれど、
テロリストを殺すことによって賞賛されるのではなく、
テロリストを生み出さない支援によってより賞賛されるべきだろう。

メディアに期待しすぎず、やや距離を置くことが必要だ。
きっと報道されないところで、
あまり目立たない誰かによって、日々世界は良くなっているのだろう。
ひとりの男が殺害されたNewsより、価値のある貢献がなされていることだろう。