12.31.2012

Kawasaki's Whiskey Award 2012

その年、もっとも輝いたウィスキーに贈られる Kawasaki's Whiskey Award が今年も発表されました。厳選なる審査の結果は下記のとおりです。


最優秀ウィスキー賞
~今年もっとも輝いたウィスキー。陰と陽をバランスし、飲む者の人生に深みを与える~

駒ケ岳 1985 Sherry Cask Strength (Age:27)

駒ケ岳 1985 Sherry Cask Strength (Age:27)


信州はマルス蒸留所の皆様、おめでとうございます。

“繊細な香りは、まるで香水のよう。香りのハーモニーにより、樽出しの60.7度ものアルコールはその強さを感じさせず、このウィスキーを支える必然となる。口に含むと、シェリー樽の木の繊維の一本一本を伝えてくるように、うまみと深みとコクが次々と展開される。思わずウットリするが、決してしつこくならず、次の一杯を「より味わうように」と誘われているかのよう。軽さと深さ、高音と低音、飲みやすさと味わい、相反する要素を見事に統合している。ジャパニーズウィスキーの最高峰に位置する逸品である”

あまりメジャーな銘柄ではありませんが、真摯なウィスキーづくりが審査員の心を揺さぶりました。2012年の最優秀ウィスキーという評価です。



最優秀新人賞
~今年もっとも驚きをもたらした若いウィスキー~

THE COOPERS CHOICE  LAPHROAIG 2005 (AGE:6)

THE COOPERS CHOICE  LAPHROAIG 2005 (AGE:6)


グラスゴーはバーズデンのブライアン・クルックさん、受賞おめでとうございます!

“わずか6年という若いウィスキーであるが、その成熟と骨格は信じられないほど。フレグランスはオイリーでスパイシー、スウィートでさわやか。しかし口に含むと、若いが、若いが、しっかりとしたラフロイグ。この若さでこの骨格を持っていることに驚かされる。まるで何かの宿命を背負って生まれてきた赤子の意志の強い目ような。フィニッシュは、長くデクレシェンドしていく。満足を与えてくれる一本”



最優秀技術賞
~今年もっとも高いウィスキー技術に贈られる。次のウィスキーの発展を予感させる~

THE LADDIE TEN (AGE:10)

THE LADDIE TEN (AGE:10)



アイラ島はブルイックラディ蒸留所のジム・マッキュワンさん、おめでとうございます!

“ノンピートであるが、アイラ島の湧き水を使うことによりピート香を感じさせ、グレープフルーツ、レモン、蜂蜜、本当にわずかなバター、潮、煙。爽やかで飲みやすいウィスキーに仕上がっている。何度飲んでもそのバランス感覚には舌を巻く。ウィスキーには珍しく、食前、食中、食後、いずれの場合にも合う。ボトルデザインも秀逸。日常のドリンクとしてのウィスキーと、フレグランスのアートとしてのウィスキー、その両面をバランスした、魂の主張が感じられる一本”
復活系蒸留所のBRUICHLADDICHの、復活後、最初の一本です。素材はすべてアイラ原産にこだわり、産業としてのウィスキーを発展させようとしているジム・マッキュワン氏の行動力も、審査員に高く評価されました。




最優秀特殊効果賞
~こんなウィスキー、アリ!?と思わずつぶやくウィスキーに贈られる~

OCTMORE シリーズ(特に5)

アイラ島はブルイックラディ蒸留所のジム・マッキュワンさん、またしてもおめでとうございます!

“世界一のピート。これまでの世界一であったアードベックのフェノール値を、3倍以上にして更新するという、ぶっちぎりの世界一を突然成し遂げ、ウサイン・ボルトが如く、自らの世界記録を塗り替え続けている。なぜこんなにピートを効かせても、ウィスキーとして成立するのか。オクトモアの5番目のリリースではサブタイトルが「ベルベット手袋の中の鉄拳」であった。最初は、世界一のピートも、59.5度のアルコールも感じさせない。飲むと穏やか。しかし、飲んだあと徐々に、アルコールが上がってきて、強烈なピート香を感じさせ、虜にさせる。まさに、ベルベット手袋の中の鉄拳。新しいウィスキー体験を作り上げた一本”
復活した蒸留所ですが、挑戦者としての姿勢をとり続けていることが、審査員にも注目されたようです。




特別功労賞
~長年の功労をたたえる賞です~

White Oak あかし (AGE:14)


White Oak あかし (AGE:14)

明石は江井ヶ嶋酒造のみなさん、おめでとうございます!

さまざまな樽の実験を積み重ねておられる江井ヶ嶋酒造のこの「あかし」は、焦がしの香ばしさ、澄んだ麦の香り、マスカットフレーバーが絶妙に調和している。白ワイン樽フィニッシュが心憎い。文句なく美味いが、出会えることの少ないウィスキー。

新作のリリースも待ち遠しいですね。長く続けていただきたいと審査員一同申しております。


以上、Kawasaki's Whiskey Award 2012 でした。
来年も皆様が良いウィスキーに出会えますように。良いお年を。


9.18.2012

多重的なパレット

都市に住んでいると、宇宙に浮かぶ星々をほとんど見ることはできない。
それでも7月7日が特別な日として記憶されているのは、きっと天の川のせいなのだろう。物理学者にとって何らかの秩序によってそこに整列し続ける未知の鉱物の集合体は、文学者にとっては宇宙(そら)というカンバスに描き出した意味のあるストーリーだ。ほかの人たちがそう感じなかったとしても・・。

(この記事は夏に書いていたけれど、もうすぐ十五夜だね)


このように知覚というのは不思議なもので、今、目に見えている現実が、各々にとって“ひとつの現実ではない”ことについて考えさせられる。


知覚ということでいつも思うのは、「シンプル」とは何か?ということだ。


一般に「シンプル」とは、スッキリしていて、なにもない、要素が少ないことだとされる。
けど、そうだろうか?

例えば、刺身を醤油につけて食べる。なんとシンプルなことだろう。
だけどそこには、刺身の香り、添えてある花の香り、山葵の香り、そして醤油の香りがある。
ひとつ、醤油を取り上げよう。醤油には何と、バラやウィスキーやコーヒーなどの香りが300種類以上複合している(!)という。驚くことにそれが“ひとつ”の醤油の香りとして知覚される。単に「いい香りだ」と思う以上の要素があるようだ。
結構、香りの世界は複雑らしい。

けれども僕らは刺身を醤油につけて食うことを“シンプル”だと知覚するのはなぜだろう?
それは、醤油なり、山葵なり、刺身なりが、それぞれひとつずつの“個性”として統合されているからだろう。つまり醤油は、、、「これとこれと、これの香りの合わさったやつ」と無意識に知覚しているはず。そしてそれらの組み合わせが更に、“刺身を食うという総合体験”として統合され、バラバラの要素が矛盾なく、自然に知覚される。刺身を食うときに、いちいち考えたりしないで済むのは、無意識の統合力のおかげ。
もしこの無意識の知覚の統合力がなければ、刺身を食うのにさまざまな要素に次から次へと出会いすぎて、疲れ切ってしまうに違いない。

といって、僕らは「合わさった味」とか、「合わさった香り」を直接感じているわけではない。
よく、「味にまとまりがある」とか言うけれど、これは正に「一度はそれぞれの味をバラバラに感じてますけど、無意識にそれらを統合するとまた別のいい感じの味になりましたわ」ということを指しているのではないだろうか。そのプロセスは意識しないけれども。


例えば、今度は絵の話だけれども、「光の魔術師」と言われるフェルメールの絵画には、光線の要素がまるでプリズムで分解したみたいに描かれているという。彼の絵に近寄ってみると、確かに光の粒がまるで映画館のスクリーンに近づいて見たときのように描かれている。
(google artで拡大してみるとわかりやすいよ!:http://g.co/artproject/h2g6
描く作業としては、カンバスに近づいて、ひとつひとつの点を置いている。ただ、それを引きでみるとシンプルに統合されているのだ。

観る距離によって、それは単なる点として知覚されたり、またはある情景をあらわす光の状態として別の点と合わさって知覚される。



不思議なのは、刺身の香りも、フェルメールの絵画も、一度バラバラにその構成要素をじっくりと味わったあとで、もう一度全体を見ると、さっきより味わい深く感じるのだ。
まるで音楽を聴くのに、ドラムの音、ベースの音、ギターの音、ボーカルの音、と順々に聞いていき、最後にもう一度全体を聞くと、深く感動するのと似ている。

それぞれの構成要素のどれを一番強くありありと感じるかが、たぶん人それぞれの個性だろうし、その時々だろうから、ひとつの“シンプル”なものが、さまざまな表情を見せるのだろう。
だからシンプルとは、要素が少ないことではなく、さまざまな要素がうまい具合に統合されている状態のことなのだろう。


そう考えると、まるでわれわれの世界の見方は、幾重にも重なる透明なパレットを手に持って、そのパレットに並べられれた透明な色とりどりの絵の具の色を、その時々で角度を変えてみたり、近づいたり離れたりしてみて、いろいろな風に実験しているかのようだ。
そして本当に不思議なことに、それらはバラバラの体験でなく、ひとつの体験として知覚することもできるのだ。そう、夜空の星々が、点と点が線でつながるかのような感動を伴って。



1.03.2012

ヒヨク仕立のシャツ

出かける前にタンスを開けてみた。
どれでもいいからと、シャツを探すと、白いコットンのシャツが目についた。

広げてみると、ずっと探していた比翼仕立のシャツだった。比翼仕立とは、前のボタンが隠れるように布で覆ってある仕立てのこと。

何年か前、ある映像でみたレストランでのマーク・ジェイコブスのさらっと着た白いシャツが格好良くって、そのイメージで作ったシャツだった。

しばらく気に入って着ていたのだが、いつの間にか見当たらなくなり、探していた。

今日見つけるまでは、“探していたことさえも”忘れていた。あの時にはあんなに探していたのに、なんでだろうと、しばらくシャツを手にしたまま、不思議に浸った。



ほかにも忘れてるのかなぁ…と呟きながら、比翼仕立のシャツを着た。