11.20.2008

実存と建築と、教授と。

大学の教授っていうのは、どこかクレイジーだ。
たいがい「自分が正しい」と強く思っているキャラの集合だ。

キョウジュは“教育者”である以上に“研究者”なので、
生徒よりも、自己の内面や研究の対象に没頭するのだ。
学生は甘っちょろく「ただ教えてもらおう」なんて思ってはいけない。
ただ側にいて、感じ、その強烈さに自分からインスパイアされなければ。
キョウジュはそれほど、扱いづらい存在だ。


その男も、強烈に濃いキャラクターだった。麻生総理の比ではない。
マンガにしたら確実に人気キャラとして君臨できるだろう。
ガタイが良く、眼光は鋭い。
パイプをくゆらせ、マフィアみたいにおしゃれなスーツを着こなし、いつも堂々と歩いていた。


建築の授業だが、内容は哲学。それも実存主義だ。
「意味の意味」だとか「“痛み”というの在り方」など語られても、
ほとんどの生徒にとっては子守唄でしかない。
僕もなにかを掴もうとハイデガーという人の『存在と時間』を図書館で借りたが、
1行ごとに眠たくなる本だった。

ただ、誰しもに「このオジサンは違う」と思わせるなにかを持っていた。
ドイツの建築事務所で働き、自らも建築家であった人。
今思えば、本当に“建築そのもの”を研究してたのはあの人だけかな、と思う。
あとの教授は、歴史かプロポーションについてだけうるさかった。


そのキョウジュが、本を書いていると知ったのは、僕が卒業する少し前だった。
ひさびさに構内ですれ違い、僕たちはベンチに腰かけた。

「少しお見かけしませんでしたね」
「少し体調を崩してな・・」
いつになく少し弱気な彼だった。
「そうでしたか。けどもう良くなられたんですね。本を書かれてるとか?」
「ああ、哲学者が建築について語っている部分だけを集めてみようと思ってるんだ」
「へぇ~やっぱり、ハイデガーとかですか」
「そう、実存主義者たちのな」
「それは楽しみですね。いつ頃読めそうですか?」
「そうだな、今年の暮れには完成しそうなんだが・・」
と言って彼は少し笑った。


あれから数年が経った。
つい先日たまたま思いついて、アマゾンで彼の名前で検索したら、
今年の夏に、やっとあの時語っていた本が出版されたようだ。


哲学者の語る建築(中央公論美術出版)

この本は彼の“Late Work”、いわゆる後期と呼ばれる仕事になるだろう。
ほとんどの人にとって興味がない分野で、
しかも難解な内容だということは、読む前からわかる。


だからこそ、僕はこれをとても読んでみたい。


No comments: