5.05.2011

ビンラディン殺害

ウサマ・ビンラディンがアメリカ政府によって殺害されたというNewsが駆け巡っている。

ひとりの男がいかにしてテロ・スターになり上がり、
恐ろしいほどの多数の殺人者集団を鼓舞し、
そして実行したかの物語がある。

そして、さらに恐ろしいほどの多数の集団が、
ひとりの男に向かって銃を突きつけ、衛星を使い、
情報網を駆使して、殺害に至るまでの物語がある。


人間の歴史は、殺したり、殺されたり。
だが、今の時代に、ひとりの男の死を
これほどまでに喜ぶ風潮はやや違和感を覚える。
国会議事堂の前で「USA」コール。自慢げに記者会見する大統領。
それはまるで飛行機がビルに突っ込んだ時に放映された、
「喜び踊るアラブ民衆の姿」とダブるからだ。
(けれどあれはヤラセ映像だったらしいので、メディアはあまり信用ならないけど)

目立つ部分、際立った部分を報道したがる世界中のメディア。
つまりそれは完璧な悪人か、完璧なヒーローかを作り上げたがる。
そのための材料が足りなければ「編集」すればよい。

ただ、今はもうすでに誰かを殺すことによってヒーローとなるのは、
違うのではないかと思う。
今のメディアの関心は「いかに殺されたか」に移っているけれど、
テロリストを殺すことによって賞賛されるのではなく、
テロリストを生み出さない支援によってより賞賛されるべきだろう。

メディアに期待しすぎず、やや距離を置くことが必要だ。
きっと報道されないところで、
あまり目立たない誰かによって、日々世界は良くなっているのだろう。
ひとりの男が殺害されたNewsより、価値のある貢献がなされていることだろう。



No comments: