6.09.2010

Fallingwater - Frank.Lloyd.Wright's

Fallingwater 日本語で『落水荘』として知られるこの建物は、
僕が建築の学生だった頃、もっとも普遍的な美しさを感じていた西洋建築だ。

面白い映像を見つけたのでup


作者のフランク・ロイド・ライトは、晩成した建築家で、
多くの建築家がそうであるように、いや、それに輪をかけて大言壮語な人物であった。

優秀な建築家、歴史と大地に名を刻む建築家、今で言うスターアーキテクチャーは、
ほとんど詐欺師と変わらない。(ライトは本当にその傾向が強かった)


多くの人々から、さまざまな論文が発表され、さまざまな写真や映像が記録され、
みな口々に“建築とはなにか”、“建築の感動の源泉とはなにか”をわずかでも手繰ろうとするが、
ほとんど成功しない。

無理があるのかもしれない。
もともと、建築という3Dに、時間という次元が加わり4Dとなり、
さらにプログラムという目的の次元が加わり5Dとなり、
そこに光と記憶が加わって・・
ただ、ひとつひとつを論理だてていけばとても思考が追いつかないような世界も、
人間は同時にひとつの体験として知覚できる。


建築はその存在で多くを語るために、
建築家は言葉でなにかを表わそうとするとき、
極端にシンプルにするか、小難しくなるか、、とにかく言葉の世界に設計の手法を持ち込もうとする。
それは時として、まるで煙に巻いてごまかすかのような印象を与える。
また、彼らはそれが巧みだ。


そのような建築家の詐欺師的な“あやしさ”は、
あやふやな未来、“未知”と通じている。
論理だててもわからないが、たしかに“知覚できるなにか”。


柱と梁、または壁による建築的な“確かさ”と、
建築家の意図する“空間的な質”。
タテモノが「大丈夫、私はあなたを騙しません」と真顔で訴えてくる反面、
同時に空間が「ここへおいで」と、小気味よいほど導かれている感覚。


この落水荘も、
「なんだただのタテとヨコのデザインじゃないか・・」
などと多寡をくくっていると・・