北の大地、北海道の余市は3月の終わりだというのに、雪が積もっていた。
私は窮屈な飛行機の座席で目を閉じて、くたびれた体とオーバーヒート気味の脳を休めているところだ。あと数時間、この飛行機は夜間飛行を続けるだろう。
なにをしに余市に行ったのか?
「ウィスキーが好きで、ウィスキーが作られる蒸留所をこの目で見たかったから」というのは、一般的な答えで、本当は違う。本当は、竹鶴政孝という男の情熱に触れたかったのだ。
竹鶴政孝は私と同じ広島県の出身で、日本に初めてウィスキーづくりをもたらした男だ。酒屋の息子(日本酒の“竹鶴”をつくっている一家)。戦前に、ウィスキーづくりを学ぶため、単身で渡英し、イギリス人女性と恋に落ち、半ば駆け落ちのように結婚し、日本に戻り、日本初のウィスキー蒸留所(山崎蒸留所)をつくった男だ。職人気質で、山崎蒸留所には納得がいかず、北海道は余市に蒸留所をつくったのだ。
この竹鶴政孝のストーリーを見聞きするたび、「なにが彼をそんなに突き動かしたのか」を知りたくなった。こだわりを持ってものをつくること。「これでいいや」ではなく、「こうしたい」と思い、突き進む情熱だ。
蒸留所に着くと、ニッカの人々が出迎えてくれた。竹鶴政孝が座った椅子にも座ってみたし、彼の作った蒸留所もひとつずつ見た。彼がどのようにしてウィスキーづくりをもたらしたかの資料にも目を通した。
しかし、分からなかった。結局、何が彼を突き動かしたかは。
ただ、彼の作ったものひとつひとつにはすべてこだわりが感じられた。ひとつひとつが粋な遊びのようでもあり、しかし真剣さも勿論あり、「これではまだ満足できない」といったささやきが聴こえてきた。竹鶴政孝はまさに開拓者で、何の保証もないところから自分のやりたいことをやっていった人だが、何が彼を突き動かすかは、彼自身ももしかしたら分からなかったのかもしれない。そして、彼を生涯突き動かしたものは案外単純であったかもしれない。つまり、「この遊びにはまだ満足できない」という、その想いが、ひとつひとつにこだわりを生み、何かをつくらせ続ける原動力となったのではないだろうか。
ひとつのものへのこだわりが、その情熱が、また次のこだわり、情熱へと続いていき、それが繰り返されたのではないだろうか。彼の人生を私は本で読むことが出来るし、写真で見ることも出来る。それは数分から数時間の作業だ。それらは整理され、まるでひとつの良く考えられた物語のようでもある。
しかしそれは、後世の人間が勝手に思うことであって、最初からひとつの物語なんて存在せず、本人はおそらく目の前のなにかに向かってがむしゃらであったのかも知れない。その結果として、偉大なことを成し遂げたように思えるのではなかろうか(事実、それが偉大だとしても、本人は最初から偉大な構想をしていなかったかもしれない)。
好きなことを突き詰めた、という言い方は軽すぎるように思う。こだわりを持ち続けた、これもなんだか違うように思う。ただ、苦しみもがき時として喜びに満ち溢れながら、目の前の情熱を追い続けたというのが、一番近い表現かもしれない。
それは案外、日常に潜む、無数の選択肢かもしれない。われわれは常に、目の前のことに、自らの美意識を対峙させ、「どうするか?」を選択している。つまり「これでいいか」「もっとこだわるか(美意識に忠実であるか)」を、意識するしないに関わらず、選択しているのだ。
些細なことかもしれないが、この選択の数々が、竹鶴政孝のような巨大な美意識の塊とその表現とでも呼べるような偉業を成し遂げるなにかきっかけや秘密のようなものかもしれない。
この飛行機はあと数時間、夜間飛行を続けるだろう。
ほどなく私は日常に戻るが、果たしてどのような選択をしていくのだろう。自らの美意識に忠実であることが出来るだろうか。いずれの選択も楽ではない気がする。