11.03.2013

次の休日には読書を

書評ブログを立ち上げました。
次の休日には読書を

本を読むことは学ぶことや愉しむことだと思いますが、私の場合は特に、「職人」というものが好きで、職人にまつわる本などを紹介できればと考えています。また、ビジネス書や映画評なども。

一流の本を探し当てることが出来れば、三流の本を100冊読んでも得られない知見が得られます。そのため、基本的には良い本のみを紹介していこうと思っていますが、あるいは良い本とそうでもない本との区別をつけるため、たくさん紹介していくような流れもありえます。現時点ではどちらにするかまだ決めていません。

このブログを読んで、「じゃあ、次の休日には読書でもしようかな」という人が増えれば幸いです。



8.01.2013

余市の旅

北の大地、北海道の余市は3月の終わりだというのに、雪が積もっていた。
私は窮屈な飛行機の座席で目を閉じて、くたびれた体とオーバーヒート気味の脳を休めているところだ。あと数時間、この飛行機は夜間飛行を続けるだろう。

なにをしに余市に行ったのか?
「ウィスキーが好きで、ウィスキーが作られる蒸留所をこの目で見たかったから」というのは、一般的な答えで、本当は違う。本当は、竹鶴政孝という男の情熱に触れたかったのだ。

竹鶴政孝は私と同じ広島県の出身で、日本に初めてウィスキーづくりをもたらした男だ。酒屋の息子(日本酒の“竹鶴”をつくっている一家)。戦前に、ウィスキーづくりを学ぶため、単身で渡英し、イギリス人女性と恋に落ち、半ば駆け落ちのように結婚し、日本に戻り、日本初のウィスキー蒸留所(山崎蒸留所)をつくった男だ。職人気質で、山崎蒸留所には納得がいかず、北海道は余市に蒸留所をつくったのだ。

この竹鶴政孝のストーリーを見聞きするたび、「なにが彼をそんなに突き動かしたのか」を知りたくなった。こだわりを持ってものをつくること。「これでいいや」ではなく、「こうしたい」と思い、突き進む情熱だ。

蒸留所に着くと、ニッカの人々が出迎えてくれた。竹鶴政孝が座った椅子にも座ってみたし、彼の作った蒸留所もひとつずつ見た。彼がどのようにしてウィスキーづくりをもたらしたかの資料にも目を通した。
しかし、分からなかった。結局、何が彼を突き動かしたかは。

ただ、彼の作ったものひとつひとつにはすべてこだわりが感じられた。ひとつひとつが粋な遊びのようでもあり、しかし真剣さも勿論あり、「これではまだ満足できない」といったささやきが聴こえてきた。竹鶴政孝はまさに開拓者で、何の保証もないところから自分のやりたいことをやっていった人だが、何が彼を突き動かすかは、彼自身ももしかしたら分からなかったのかもしれない。そして、彼を生涯突き動かしたものは案外単純であったかもしれない。つまり、「この遊びにはまだ満足できない」という、その想いが、ひとつひとつにこだわりを生み、何かをつくらせ続ける原動力となったのではないだろうか。

ひとつのものへのこだわりが、その情熱が、また次のこだわり、情熱へと続いていき、それが繰り返されたのではないだろうか。彼の人生を私は本で読むことが出来るし、写真で見ることも出来る。それは数分から数時間の作業だ。それらは整理され、まるでひとつの良く考えられた物語のようでもある。
しかしそれは、後世の人間が勝手に思うことであって、最初からひとつの物語なんて存在せず、本人はおそらく目の前のなにかに向かってがむしゃらであったのかも知れない。その結果として、偉大なことを成し遂げたように思えるのではなかろうか(事実、それが偉大だとしても、本人は最初から偉大な構想をしていなかったかもしれない)。

好きなことを突き詰めた、という言い方は軽すぎるように思う。こだわりを持ち続けた、これもなんだか違うように思う。ただ、苦しみもがき時として喜びに満ち溢れながら、目の前の情熱を追い続けたというのが、一番近い表現かもしれない。

それは案外、日常に潜む、無数の選択肢かもしれない。われわれは常に、目の前のことに、自らの美意識を対峙させ、「どうするか?」を選択している。つまり「これでいいか」「もっとこだわるか(美意識に忠実であるか)」を、意識するしないに関わらず、選択しているのだ。
些細なことかもしれないが、この選択の数々が、竹鶴政孝のような巨大な美意識の塊とその表現とでも呼べるような偉業を成し遂げるなにかきっかけや秘密のようなものかもしれない。


この飛行機はあと数時間、夜間飛行を続けるだろう。
ほどなく私は日常に戻るが、果たしてどのような選択をしていくのだろう。自らの美意識に忠実であることが出来るだろうか。いずれの選択も楽ではない気がする。


1.09.2013

ヒット御礼「そのウィスキーをもう一杯」

元旦からはじめたウィスキーブログ「そのウィスキーをもう一杯」が、早くも専門ポータルサイト(USKEBA)で人気ブログランキングの16位を獲得した(1/9 1:00時点。リアルタイムで変動する)。また、Googleで「ウィスキー 飲み方」で検索すると65万ヒット中の33位以内に表示される(3ページ目か4ページ目)。始めてから8日目の成果としては順調だ。

2013年の目標では、下記のように書いている。
このブログは、ウィスキーのレビューや、基礎知識、周辺情報などを書いていこうと思う。自分がウィスキーを好きになる過程で、まとまった情報がわかりやすく提供されているブログが検索であまり引っかからなかったので、そういうブログになることを目指している。・・・・・・・・味覚や嗅覚は画一的でないはずだ。新年らしく意気込むと、やや魂の感じられるブログにする。
まだまだこれからも伸ばしていく予定だ。



1.01.2013

2013の目標

2013年はブログの記事をたくさん書こうと思う。
振り返れば2012は3つしか記事を書かなかった。

このflowingというブログは思ったことを綴っていく。


もう一つブログを立ち上げたので、そちらも書こうと思う。
そのウィスキーをもう一杯
このブログは、ウィスキーのレビューや、基礎知識、周辺情報などを書いていこうと思う。自分がウィスキーを好きになる過程で、まとまった情報がわかりやすく提供されているブログが検索であまり引っかからなかったので、そういうブログになることを目指している。ウィスキーを愉しむために必要な情報はあまり多くないはずだけど、他の多くのページでは熱意のあまり「語りすぎ」になってる。これだととっつきにくい。もっと平易でほどほどの情報量が良い、というのが僕の考えだ。
また、ウィスキーの名前で検索すると、日本語で出てくるレビューはほとんど販売元が出しているコメントの転記であったりする。それだとリンクを載せればよいだけ。ましてやバーのブログで、こういった現状はヒドイ。商売のためのinformationで、意見や主張が感じられない。味覚や嗅覚は画一的でないはずだ。新年らしく意気込むと、やや魂の感じられるブログにする。




12.31.2012

Kawasaki's Whiskey Award 2012

その年、もっとも輝いたウィスキーに贈られる Kawasaki's Whiskey Award が今年も発表されました。厳選なる審査の結果は下記のとおりです。


最優秀ウィスキー賞
~今年もっとも輝いたウィスキー。陰と陽をバランスし、飲む者の人生に深みを与える~

駒ケ岳 1985 Sherry Cask Strength (Age:27)

駒ケ岳 1985 Sherry Cask Strength (Age:27)


信州はマルス蒸留所の皆様、おめでとうございます。

“繊細な香りは、まるで香水のよう。香りのハーモニーにより、樽出しの60.7度ものアルコールはその強さを感じさせず、このウィスキーを支える必然となる。口に含むと、シェリー樽の木の繊維の一本一本を伝えてくるように、うまみと深みとコクが次々と展開される。思わずウットリするが、決してしつこくならず、次の一杯を「より味わうように」と誘われているかのよう。軽さと深さ、高音と低音、飲みやすさと味わい、相反する要素を見事に統合している。ジャパニーズウィスキーの最高峰に位置する逸品である”

あまりメジャーな銘柄ではありませんが、真摯なウィスキーづくりが審査員の心を揺さぶりました。2012年の最優秀ウィスキーという評価です。



最優秀新人賞
~今年もっとも驚きをもたらした若いウィスキー~

THE COOPERS CHOICE  LAPHROAIG 2005 (AGE:6)

THE COOPERS CHOICE  LAPHROAIG 2005 (AGE:6)


グラスゴーはバーズデンのブライアン・クルックさん、受賞おめでとうございます!

“わずか6年という若いウィスキーであるが、その成熟と骨格は信じられないほど。フレグランスはオイリーでスパイシー、スウィートでさわやか。しかし口に含むと、若いが、若いが、しっかりとしたラフロイグ。この若さでこの骨格を持っていることに驚かされる。まるで何かの宿命を背負って生まれてきた赤子の意志の強い目ような。フィニッシュは、長くデクレシェンドしていく。満足を与えてくれる一本”



最優秀技術賞
~今年もっとも高いウィスキー技術に贈られる。次のウィスキーの発展を予感させる~

THE LADDIE TEN (AGE:10)

THE LADDIE TEN (AGE:10)



アイラ島はブルイックラディ蒸留所のジム・マッキュワンさん、おめでとうございます!

“ノンピートであるが、アイラ島の湧き水を使うことによりピート香を感じさせ、グレープフルーツ、レモン、蜂蜜、本当にわずかなバター、潮、煙。爽やかで飲みやすいウィスキーに仕上がっている。何度飲んでもそのバランス感覚には舌を巻く。ウィスキーには珍しく、食前、食中、食後、いずれの場合にも合う。ボトルデザインも秀逸。日常のドリンクとしてのウィスキーと、フレグランスのアートとしてのウィスキー、その両面をバランスした、魂の主張が感じられる一本”
復活系蒸留所のBRUICHLADDICHの、復活後、最初の一本です。素材はすべてアイラ原産にこだわり、産業としてのウィスキーを発展させようとしているジム・マッキュワン氏の行動力も、審査員に高く評価されました。




最優秀特殊効果賞
~こんなウィスキー、アリ!?と思わずつぶやくウィスキーに贈られる~

OCTMORE シリーズ(特に5)

アイラ島はブルイックラディ蒸留所のジム・マッキュワンさん、またしてもおめでとうございます!

“世界一のピート。これまでの世界一であったアードベックのフェノール値を、3倍以上にして更新するという、ぶっちぎりの世界一を突然成し遂げ、ウサイン・ボルトが如く、自らの世界記録を塗り替え続けている。なぜこんなにピートを効かせても、ウィスキーとして成立するのか。オクトモアの5番目のリリースではサブタイトルが「ベルベット手袋の中の鉄拳」であった。最初は、世界一のピートも、59.5度のアルコールも感じさせない。飲むと穏やか。しかし、飲んだあと徐々に、アルコールが上がってきて、強烈なピート香を感じさせ、虜にさせる。まさに、ベルベット手袋の中の鉄拳。新しいウィスキー体験を作り上げた一本”
復活した蒸留所ですが、挑戦者としての姿勢をとり続けていることが、審査員にも注目されたようです。




特別功労賞
~長年の功労をたたえる賞です~

White Oak あかし (AGE:14)


White Oak あかし (AGE:14)

明石は江井ヶ嶋酒造のみなさん、おめでとうございます!

さまざまな樽の実験を積み重ねておられる江井ヶ嶋酒造のこの「あかし」は、焦がしの香ばしさ、澄んだ麦の香り、マスカットフレーバーが絶妙に調和している。白ワイン樽フィニッシュが心憎い。文句なく美味いが、出会えることの少ないウィスキー。

新作のリリースも待ち遠しいですね。長く続けていただきたいと審査員一同申しております。


以上、Kawasaki's Whiskey Award 2012 でした。
来年も皆様が良いウィスキーに出会えますように。良いお年を。


9.18.2012

多重的なパレット

都市に住んでいると、宇宙に浮かぶ星々をほとんど見ることはできない。
それでも7月7日が特別な日として記憶されているのは、きっと天の川のせいなのだろう。物理学者にとって何らかの秩序によってそこに整列し続ける未知の鉱物の集合体は、文学者にとっては宇宙(そら)というカンバスに描き出した意味のあるストーリーだ。ほかの人たちがそう感じなかったとしても・・。

(この記事は夏に書いていたけれど、もうすぐ十五夜だね)


このように知覚というのは不思議なもので、今、目に見えている現実が、各々にとって“ひとつの現実ではない”ことについて考えさせられる。


知覚ということでいつも思うのは、「シンプル」とは何か?ということだ。


一般に「シンプル」とは、スッキリしていて、なにもない、要素が少ないことだとされる。
けど、そうだろうか?

例えば、刺身を醤油につけて食べる。なんとシンプルなことだろう。
だけどそこには、刺身の香り、添えてある花の香り、山葵の香り、そして醤油の香りがある。
ひとつ、醤油を取り上げよう。醤油には何と、バラやウィスキーやコーヒーなどの香りが300種類以上複合している(!)という。驚くことにそれが“ひとつ”の醤油の香りとして知覚される。単に「いい香りだ」と思う以上の要素があるようだ。
結構、香りの世界は複雑らしい。

けれども僕らは刺身を醤油につけて食うことを“シンプル”だと知覚するのはなぜだろう?
それは、醤油なり、山葵なり、刺身なりが、それぞれひとつずつの“個性”として統合されているからだろう。つまり醤油は、、、「これとこれと、これの香りの合わさったやつ」と無意識に知覚しているはず。そしてそれらの組み合わせが更に、“刺身を食うという総合体験”として統合され、バラバラの要素が矛盾なく、自然に知覚される。刺身を食うときに、いちいち考えたりしないで済むのは、無意識の統合力のおかげ。
もしこの無意識の知覚の統合力がなければ、刺身を食うのにさまざまな要素に次から次へと出会いすぎて、疲れ切ってしまうに違いない。

といって、僕らは「合わさった味」とか、「合わさった香り」を直接感じているわけではない。
よく、「味にまとまりがある」とか言うけれど、これは正に「一度はそれぞれの味をバラバラに感じてますけど、無意識にそれらを統合するとまた別のいい感じの味になりましたわ」ということを指しているのではないだろうか。そのプロセスは意識しないけれども。


例えば、今度は絵の話だけれども、「光の魔術師」と言われるフェルメールの絵画には、光線の要素がまるでプリズムで分解したみたいに描かれているという。彼の絵に近寄ってみると、確かに光の粒がまるで映画館のスクリーンに近づいて見たときのように描かれている。
(google artで拡大してみるとわかりやすいよ!:http://g.co/artproject/h2g6
描く作業としては、カンバスに近づいて、ひとつひとつの点を置いている。ただ、それを引きでみるとシンプルに統合されているのだ。

観る距離によって、それは単なる点として知覚されたり、またはある情景をあらわす光の状態として別の点と合わさって知覚される。



不思議なのは、刺身の香りも、フェルメールの絵画も、一度バラバラにその構成要素をじっくりと味わったあとで、もう一度全体を見ると、さっきより味わい深く感じるのだ。
まるで音楽を聴くのに、ドラムの音、ベースの音、ギターの音、ボーカルの音、と順々に聞いていき、最後にもう一度全体を聞くと、深く感動するのと似ている。

それぞれの構成要素のどれを一番強くありありと感じるかが、たぶん人それぞれの個性だろうし、その時々だろうから、ひとつの“シンプル”なものが、さまざまな表情を見せるのだろう。
だからシンプルとは、要素が少ないことではなく、さまざまな要素がうまい具合に統合されている状態のことなのだろう。


そう考えると、まるでわれわれの世界の見方は、幾重にも重なる透明なパレットを手に持って、そのパレットに並べられれた透明な色とりどりの絵の具の色を、その時々で角度を変えてみたり、近づいたり離れたりしてみて、いろいろな風に実験しているかのようだ。
そして本当に不思議なことに、それらはバラバラの体験でなく、ひとつの体験として知覚することもできるのだ。そう、夜空の星々が、点と点が線でつながるかのような感動を伴って。



1.03.2012

ヒヨク仕立のシャツ

出かける前にタンスを開けてみた。
どれでもいいからと、シャツを探すと、白いコットンのシャツが目についた。

広げてみると、ずっと探していた比翼仕立のシャツだった。比翼仕立とは、前のボタンが隠れるように布で覆ってある仕立てのこと。

何年か前、ある映像でみたレストランでのマーク・ジェイコブスのさらっと着た白いシャツが格好良くって、そのイメージで作ったシャツだった。

しばらく気に入って着ていたのだが、いつの間にか見当たらなくなり、探していた。

今日見つけるまでは、“探していたことさえも”忘れていた。あの時にはあんなに探していたのに、なんでだろうと、しばらくシャツを手にしたまま、不思議に浸った。



ほかにも忘れてるのかなぁ…と呟きながら、比翼仕立のシャツを着た。




12.29.2011

組織と軍隊と紅茶と旧友

旧友、という言葉を使うには、僕はまだ若すぎる気がする。
ただ彼と会うのは本当にポッカリ期間が空いていた。大学時代の友人に逢った。

紅茶屋でアールグレイとアッサムのポットを頼み、近況を報じ合った。


彼は今、自衛隊にいた。ハイチに海外派遣されていたことや、歳を取ってからその仕事をはじめることのキツさ、日常の9割は“準備”に費やされることなどを語っていた。
普段、軍隊(※海外では自衛隊はJapanese Armyと呼ばれるので)とは縁遠い僕にとって、彼の話は刺激的で面白かった。

特に軍隊という“組織”が僕の興味を引いた。

ディティールは多少違っているかもしれないが、自衛隊は17もの階級(!)が存在する。会社組織で言えば「平社員、係長、課長、部長、常務、専務、社長」といった7階級で事は足りるだろう。一般的に、組織の階層が多くなればなるほど、意志の統一が難しく、マネジメントし辛いはずだ。なぜそんなに階層が多いのか?という僕の問いに対し、彼はこう答えた。
「最小で3~4人の組織に分割することができる。その場合、命令指揮系統が混乱しないよう、多くの階級がある」
つまり、どんなに小さな組織に分割していっても、誰がボスかが明確なのである。
指揮命令系統がスッキリしているし、上位下達という考えもハッキリしている。

また彼曰く、
「下の者のパフォーマンスが悪ければ、直属の上司の“指導不足”であり、それはまたその上の上司も、“指導不足”となる。一番下っ端にはベストを尽くすことが求められ、結果責任は上司にある」
と。実に責任の所在が明快な組織形態である。


考えてみれば、軍隊という組織形態は、人類の歴史並に古く歴史のある組織じゃないだろうか。また、組織の目的も明らかで、あるミッション、タスクを実行するということを長年行っている。歴史が長いからこそ、“いかに組織するか”ということについてもさまざまなノウハウが蓄積されているだろう。


また彼の口から出てくる軍隊組織の経験談は、まさに活きた言葉だった。
「誰が上に立つかによって明らかに仕事の効率が違う」
箸の上げ下げまで細かく指導されるより、目的を告げられ、ある程度の裁量が残されている方が高いパフォーマンスを発揮できるのだそうだ。ダニエル・ピンクのモチベーション3.0だね。
高いパフォーマンスを発揮する指揮官は、重たい荷物を持つにしても、
「自分が持ちやすい、楽と感じる持ち方で持て」などと指導するそうだ。


りんごのタルトタタンをつまみながら、僕は考えた。

軍隊の組織は非常に洗練されているが、一方で現代のほとんどの組織の役割とその責任は、軍隊ほど厳密に定義できないだろう。
だれに、何の責任が、どの程度あるのか。いったいだれが主体的に、どういった目標を達成するのか。一見はっきりとした目標や役割や責任を抱えているようで、実は定義はあいまいで、その場で都度だれかが決めていき、コンセンサスがあとから形成されていく。

それは多くの組織が変化にさらされていることが原因だろう。変化する世の中において、じつは大きな組織ほど、変化に柔軟に対応することが難しくなる。
組織とはそれ自体がタスク処理のノウハウだ。大きな組織ほど、過去のタスクの最適化に成功してきた可能性が高い。だからこそ、あらたな環境の変化に適応することは、特に大きな組織であるほど難しいのかもしれない。過去のノウハウの最適化である組織は、昨日と同じことを、昨日より効率的に処理することが得意なのだ。

新しいことや変化への順応は個人にとって得意分野で、その後の効率化のために組織ができるという順序だとすれば、新しいことを組織でやろうとするのは順序が逆かもしれないな、、などと考えながら、彼の話を聞いていた。
つまり、新しいことに取り組む組織は存在しえず、新しいことに取り組む個人を少し遅れてフォローしバックアップする組織というのが現実的なラインだろうな。ソニーが組織で失敗し、アップルがジョブズ個人と彼を組織でフォローアップすることで成功したように。

そうすると、個人が始めていく新しいことをバックアップする組織の一面と、軍隊のように厳密に定義された責任と命令系統を持ち合わせた組織の一面とが両立できるのが、良い組織なのだろうか。
いずれにせよ組織は“手段”にすぎないので、つねに明確なミッションと、命令を必要としているのだろう。現代の多くの組織では目標は見えず成果は何によって測られるか分からず、大小の混乱を生み出している。
ゴールが不明確な時代においては尚更に。


紅茶を飲み終わり、コートを着込み、真冬の街中で旧友と別れた。
僕らはそのまま自らの所属する組織へと戻った。




11.05.2011

人生の目的

雨がしとしと降っている。
白い雲がランプシェードのように空を柔らかく覆い、光を拡散しているせいで、街のビルには陰がなく、空気はしっとりしている。


今日の空のように、輪郭がぼんやりとしながら、ハッキリとした明るさを持って、僕の心にある疑問が浮かんだ。

人生の目的とはなんだろう。
地球上の70億人に生まれつき目的が備わっているとは思えない。けれど、それぞれが自らの意思でそれぞれの目的を持っても不思議ではない。
人々は毎日動いている。文字通り時間や空間の中で。足を動かさずとも時は流れて行く。それぞれの人はどこへ"向かい"ながら生きているのだろうか。

頭の中で、数多の人々がうごめく映像が浮かぶ。僕にとって名前のない、しかし、それぞれの行き先を持っているであろう人々。

はっきりとした名前のあるない、意識するしないに関わらず、人は自らに何らかの役割を与えている。
社会の中での役割、仕事上での役割、友人たちとの付き合いの中での役割、家族を構成するものとしての役割。光があるところに影があるように、存在するということと、役割とは切り離せない。「あなたとわたし」は、お互いに役割で結びついている。

そして役割で結びついた関係はまるで、地上に落とされた影の形のようだ。それは、刻々と変化する太陽の位置と、建物同士の距離が関係しあって群像を形づくる。
だから人は、生きる意味のようなものを、関係性の中で見つけ出す。互いに影響し合い、ある群像を描くことに役立っている。

何かの役に立ち、群像の一部であると感じるとき、人は「幸せ」を感じるのだろう。そして何の役に立ちたいか、ということがすなわち人生の目的となる。意識され得るかどうかに関わらず。
よく、何になりたいとか、なにを得たいかとか言うけれど、それは本筋ではない。所詮人は関係性の中でしか自分を見出すことが出来ないのだから、何になろうとも何を手に入れようとも、何かの"役に立たない限りは"、残るのは虚しさばかりだ。


その意味で、人生の目的は?と尋ねられて、何何になること、と答えているのは、まだそれについて落ち着いて考える時間が足りないのかもしれない。

また同じように、何の役に立ちたいか、という質問に答えられない私も、まだ、考える時間が足りていないのだろう。


雨がしとしと降っている。
ただもうしばらく降り続けることを、期待するばかりだ。


10.17.2011

ほしいものがほしいわ

確か、モノが溢れた日本のバブル期に、西武百貨店のために糸井重里さんが書いたコピーだったと記憶してる。

ほしいものがほしいわ


これって、今の時代に、もっと当てはまってるような気がする。特に最近は、ITと呼ばれる分野にそれを強く感じる。

僕自身、前は「ガジェット好き」だった。いわゆる電子手帳的なものが大好きだった。それらがなにを実現してくれるのか、という未来にわくわくしたものだ、

だがモバイル通信と、インターネットがすべてのルールを変えた。

ネットワークが主導権を握るようになってから、各デバイスは単なる手段に成り下がった。それも当然だ。ネットワークという上位概念がワーク(機能)し始めたからだ。
それまでは、各デバイスが各ワークの最重要ポイントだった。いかに賢いパーソナル・データ・アシスタントを使うかが勝負だったのだ。

今や各デバイスは、一通りの能力を備えている。文字が読み書きでき、カレンダーの概念があり、動画、画像、音楽の再生と編集が可能だ。無論インターネットに繋がり、成果物をやり取りできる。

もう本当に、あとはなにを書いて、なにを作るかが大切になってきた。いや、ずっと大切だったけれど。

ネットワークという上位概念がすべてを変えた。
まぁ、それを、インタラクティブと言ったり、Web2.0と呼んだり、シームレスだ、フラットだユビキタスだと言葉を変えてみて、はたまたプラットフォームだクラウドだとか呼び始めたり、なんでも構わないが、いよいよ我々は

ほしいものがほしいわ


という時代に到達しようとしている。
ここしばらく、エンジニアの時代だったけれど、それももうそろそろ終わりそうだと予感している。


技術的なことば遊びを止めて、
なにがほしいか、からスタートしなければ、
もうこれ以上のモノもサービスも
「ほしくない」時代なのだ。

10.05.2011

Please

並木と中央通りの間、
自転車屋のブロックの角の二階の店。
(広島市中区三川町3-1)

お茶の時間は濃厚ガトーショコラが売り。かなり濃厚。個人的にはその上からさらに熱いチョコレートソースをかけて欲しかった。

さて、ここの限定ハンバーグが美味かった。ランチで出すレベルではないのでは?

五日かけてスネ肉煮込んで、デミグラスソースに溶かし込んで、、手のかかったフレンチで、、。

店内はゆったり。大きなソファがいくつかある。並木にしては珍しいつくりかも。夜もかなり遅くまでやってる。


今後、夜のワインが充実すればなかなか貴重な店となりそう。
今時珍しい、“手のかかった” cafe barなのだ。


9.08.2011

準備

NASA 好機をつかむ組織
という本があって、それを読んで以来、組織にはつねに何らかの“準備”が必要だと考えるようになった。

組織の外界はつねに変化する。
ついつい、内向きになりがちだが、組織の価値を決定するのは、組織の外がわの人たちだ。

新しいことが起こっても、十分に対処できるだろうか。急な状況変化にたじろがず、テンパらず、しっかりとその手に好機をつかめるだろうか。










そのために、組織全員の目を、内ではなく、外へ、今ではなく、先に向けることができるだろうか。

昨日の基準を、今日の基準としてはならない。明日の基準こそ、今日の基準としなければならない。


そのための準備をしようと思う。少しずつではあるけれど。

8.02.2011

放射能パニック

今、日本では放射能パニックが起きている。
ずっとそこにあったものなのに、急遽脚光を浴びて皆の前に華々しく現れ、そこら中の頭の中を掻き乱しているようだ。

不安や経済、アイデンティティや歴史。

人間が火を使う歴史と似ているのか、それとも今回は根本的に違うものなのか。

多くの人はきっと、原発というものに対して支持も不支持も抱いていないだろう。
本当のところは。
原発事故反対というスタンスしか取りようがないとも言える。

その汚染物質はどこまで広がるのか。どんな影響があり、いつ無害になるのか。それに対する手だてはあるのか。

誰もシンプルな答えを持っていない。

よく分からない、というのが真実で、専門家に言わせても、せいぜい「まだよく分からない(こういうことまでは分かっている)」というところが誠実なラインだろう。それ以上は大抵の場合、必要とされなかったのだから。
ただしパニックの間は、大量の仮説や偏ったデータが、確固たる事実であるかのように伝えられる。


煽るメディアに煽られるひとびと
隠す体制に、糾弾するひとびと
ニワトリとタマゴみたいだ
どちらが原因でも成り立つ関係。


パニックはそれぞれの立場の間に働く引力で二重螺旋を描きながら、不安を拡散していく。原動力は事故への怒りだろう。
このパニックの果てに起こることはなんだろう。他のパニックと同様、いずれは過去へと消え去っていくだけだろうか。
それとも、文化的なトラウマとなり、ずっと影響を与え続ける、大きな爪痕を残すことになるだろうか。


いずれにせよ、世界で増え続ける人口に対して、われわれはまだエネルギー問題を解決していない。いま起きている放射能に汚染された/されてない問題よりはるかに深刻だ。化石燃料にせよ、原子力にせよ、太陽光にせよ、地球のエネルギーは足りていない。水も食料も同様だ。
これは日本も含めて多くの人々の生存に直結する、差し迫った問題だ。


そんな中、いま日本で起きている近視眼的な放射能パニックは、もっと大きな今後の問題を見るひとつのきっかけとなるだろうか。
子供に食べさせるものが汚染されているか心配であるなら、子供が大人になったときにいまと同じだけのエネルギーが供給されているかも同時に心配なはずだ。


放射能パニックはまるでバブルのようだ。狂気的で、大して意味のないものが重要に思えたりする。一方で、新しい価値観が生まれて、世の中を大きく変えたりする。


このパニックが掻き乱し、人々の記憶に刻み込んだ不安の数々が、われわれの考える力を刺激し続けていくだろう。
放射能パニックはいま、日本に新しい視点をもたらしている最中なのだ。



7.04.2011

口に出せない言葉

ある程度親しい関係の人とは、
よく言い合うこと。

けれど公には口に出さない言葉。

飽きた


やる気がないと思われては面倒だからだ。
けれどこれは自然な感情で、仕方がない。
人間誰氏も、なにかに熱中しては飽きるものだ。

いや、世の中には、ひとつのことにずっと熱中できる人がいるんだろうか。
それとも、熱中せず、“そこそこの気力”を保っていけるんだろうか。

不思議だ。

仕事とは歩き続けること、という側面がある。
一定の品質を一定の速度で、継続的に…

それはそれで素晴らしいし、僕がサービスを受ける立場だったら、そうあって欲しい。例えば鉄道とか、飲食とか。。

僕は供給する側には向いてないようだ。


これらはあまり口に出さない言葉だ。






5.25.2011

新しいものをもたらす

ある認識のカタマリに、
“別の”認識を持ち込む作業。

世界が変わるというのは、
世界が変わって見える、
そう認識されるから。


そのため、価値観に働きかけることが必須。
その人の中での、優先順位、
つまり「自分との関わり度」の認識を変える。
これが、世界に対する認識を変えること。

つまり、世界を変えること。








5.16.2011

無用の用 /育成について

人材育成という言葉があって、
人材は育成できるもの

という幻想がある。

そのある程度は真実だし、
ある程度はやはり幻だ。


その幻想はこう言う。
あなたには欠けているところがある。それを埋めてあげましょう。だって私にはそれが分かるのですから。


まるで人間に、“完璧な形”があるかのような、そんなアプリオリな前提に立っているのだ。


言い換えれば、人材育成と言う言葉は、
ヒマワリの種に水をやってバラに育てます

という意味で使われる事が多い。
まぁ、少なくともかなり近い意味で。


「必要な人材像」に終始すると、そんな発想になりやすい。

大切なのは、実際の人間と、必要な人材像の両方からスタートし、もっとも高い可能性を探ることだろう。

ヒマワリをバラに育成することはできない。

欠点を埋めるのではなく、欠点の周りにあるものに着目するのはどうだろうか。

そうしたとき、(飛躍するようだが)欠点は大きなブラックホールまたは引力になり得るのではないだろうか。


つまり、無いという認識が、育成の妨げとなる。

無いという認識から、埋めるという行為が想起され、結果無駄になる。
我々はみな空白恐怖症で、それはスキルマップのヴォイドを許さない。


それは特定のスキルかもしれない、それは憧れかもしれない。

本来の形に、幻影を重ねて、あれがない、と必死で埋め始める。
しかし本来の形以外には、結局なりようがない。


しかも、ほとんどの仕事はコミュニケーションの中で成り立つ。
そのため、特定の欠けているスキルを伸ばそうとする行為は独り相撲となる場合が多い。



有る/無いという概念は、ある視点を表しているに過ぎない。

何かが無いと思ったとき、対象とのコミュニケーションを変化させることはできるだろうか。


例えば、スキルの有る/無しは、成果と直接の関係はない。
状況の有る/無しは成果と直接の関係はない。
であるならば何にこだわるだろう?

常に何か有り、何か無い中で、
成果を上げるには、
無い、ということが実はただの有るの反対ではなく、また別の有るを生み出す可能性であることを知る必要がある。
それは直接の事象ではなく、それらを生み出す環境のようなものだ。

器が役に立つのは、それが空っぽだからである。 老子


我々は、何かが無いということに対して、それが却って力を発揮するようなプランを必要としている。

それが組織でも、個人でも。

常に有無の概念は互いにコミュニケーションしている。
それらを俯瞰することが必要だ。


だから育成とは、
テクニックを育てるのではなく、
テクニックを使う人を育てることをいうのだ。

無い、を埋めることが育成ではない。
それを利用することである。




5.05.2011

ビンラディン殺害

ウサマ・ビンラディンがアメリカ政府によって殺害されたというNewsが駆け巡っている。

ひとりの男がいかにしてテロ・スターになり上がり、
恐ろしいほどの多数の殺人者集団を鼓舞し、
そして実行したかの物語がある。

そして、さらに恐ろしいほどの多数の集団が、
ひとりの男に向かって銃を突きつけ、衛星を使い、
情報網を駆使して、殺害に至るまでの物語がある。


人間の歴史は、殺したり、殺されたり。
だが、今の時代に、ひとりの男の死を
これほどまでに喜ぶ風潮はやや違和感を覚える。
国会議事堂の前で「USA」コール。自慢げに記者会見する大統領。
それはまるで飛行機がビルに突っ込んだ時に放映された、
「喜び踊るアラブ民衆の姿」とダブるからだ。
(けれどあれはヤラセ映像だったらしいので、メディアはあまり信用ならないけど)

目立つ部分、際立った部分を報道したがる世界中のメディア。
つまりそれは完璧な悪人か、完璧なヒーローかを作り上げたがる。
そのための材料が足りなければ「編集」すればよい。

ただ、今はもうすでに誰かを殺すことによってヒーローとなるのは、
違うのではないかと思う。
今のメディアの関心は「いかに殺されたか」に移っているけれど、
テロリストを殺すことによって賞賛されるのではなく、
テロリストを生み出さない支援によってより賞賛されるべきだろう。

メディアに期待しすぎず、やや距離を置くことが必要だ。
きっと報道されないところで、
あまり目立たない誰かによって、日々世界は良くなっているのだろう。
ひとりの男が殺害されたNewsより、価値のある貢献がなされていることだろう。



2.19.2011

どこへ向かう

なにかすべき時にするのが戦術で
なにもない時にするのが戦略

(あるチェスプレーヤーの言葉)



仕事をするとき、ひとりではない。
チームで仕事をすると、自分以外の誰かと向き合う。ベクトルも、スピードも違う。


仕事とは変化を起こすことで、
変化には時間が必要だ。




誰かを待つ時間に、何をするか。
戦略という大きな視点が必要だ。


そして戦略には、ゴールが必要だ。


少しゆっくりしたとき、どこに向かうかを決めるのは、自分と向き合うということ。


いまいち興味が持てなければ、大きなゴールが必要ということ。


1.29.2011

東京と大阪

今、広島にかえる新幹線の中。


東京出張でいくつかビジネスした。また、事業改善のプレゼン大会を視察した。

会場で、幾人かと貴重な言葉を交わした。意見を交換し、次へと繋がる成果を得た。

この大会は一年ぶりで、ちょうど寒い冬のことだった。
あれから一年間、自分なりに改善を積み重ねて、わかったことがある。

それは、「自分の改善」などあり得ないということだ。
誰かが、自分の改善を使ってくれて、初めて意味がある。

聞かれない歌が虚しいように、使われない改善には意味がない。

だが、どうやったら改善のアイデアを使ってもらえるというのだろう?

一年かかって分かったのは、より全社を俯瞰する動きが必要ということだ。
全国の点と点を、線で結ぶ仕事。

そんなことを考えながら、その晩、すこし酒を呑んだ。










一夜開けて大阪。



友人との再会。

酒が入ると涙もろくなっていけない。



さまざまな話をし、すこし昔を思い出した。

今より、大きな仕事をしよう。
そんな気になった。


1.16.2011

組織、チーム

年末年始は人の異動、また移動が多い。
いろんな集まりの機会がある。


最近もあるチームのリーダーの異動で僕を含めたメンバーが集まった。
すごく慕われている人だったので、盛大な会になった。


一方で僕は最近、リーダーの立場になることが多い。


ふと、組織(チーム)とはなんだろう?
と考えてみる。




それは繋がり、




なにか同じことを考え、




共に楽しみ、






なにかの成果を上げていくこと。


どんなチームにも、
気がつけばチームの誰もが共有している「価値観」があり、
それぞれに異なる「個性」が影響し合ってる。



僕はどんな「価値観」のチームをつくりたいだろうか?

僕の「個性」はチームにどんな影響を与えているだろうか?



さまざまなチームを経験して僕が学んだのは、チームはリーダーの鏡のようなもの。

そしてチームのリーダーとは、役職ではない。


では誰がリーダーとなるか?


チームのことを一番深く考えた人が、自然とリーダーとなるのではないだろうか。


その人には優しさがあり、
寛容であり、
方向を定め、前に進む。


いつからか、そういった理想を持つようになった。
僕はよいリーダーに恵まれてきたのかもしれない。