11.05.2011

人生の目的

雨がしとしと降っている。
白い雲がランプシェードのように空を柔らかく覆い、光を拡散しているせいで、街のビルには陰がなく、空気はしっとりしている。


今日の空のように、輪郭がぼんやりとしながら、ハッキリとした明るさを持って、僕の心にある疑問が浮かんだ。

人生の目的とはなんだろう。
地球上の70億人に生まれつき目的が備わっているとは思えない。けれど、それぞれが自らの意思でそれぞれの目的を持っても不思議ではない。
人々は毎日動いている。文字通り時間や空間の中で。足を動かさずとも時は流れて行く。それぞれの人はどこへ"向かい"ながら生きているのだろうか。

頭の中で、数多の人々がうごめく映像が浮かぶ。僕にとって名前のない、しかし、それぞれの行き先を持っているであろう人々。

はっきりとした名前のあるない、意識するしないに関わらず、人は自らに何らかの役割を与えている。
社会の中での役割、仕事上での役割、友人たちとの付き合いの中での役割、家族を構成するものとしての役割。光があるところに影があるように、存在するということと、役割とは切り離せない。「あなたとわたし」は、お互いに役割で結びついている。

そして役割で結びついた関係はまるで、地上に落とされた影の形のようだ。それは、刻々と変化する太陽の位置と、建物同士の距離が関係しあって群像を形づくる。
だから人は、生きる意味のようなものを、関係性の中で見つけ出す。互いに影響し合い、ある群像を描くことに役立っている。

何かの役に立ち、群像の一部であると感じるとき、人は「幸せ」を感じるのだろう。そして何の役に立ちたいか、ということがすなわち人生の目的となる。意識され得るかどうかに関わらず。
よく、何になりたいとか、なにを得たいかとか言うけれど、それは本筋ではない。所詮人は関係性の中でしか自分を見出すことが出来ないのだから、何になろうとも何を手に入れようとも、何かの"役に立たない限りは"、残るのは虚しさばかりだ。


その意味で、人生の目的は?と尋ねられて、何何になること、と答えているのは、まだそれについて落ち着いて考える時間が足りないのかもしれない。

また同じように、何の役に立ちたいか、という質問に答えられない私も、まだ、考える時間が足りていないのだろう。


雨がしとしと降っている。
ただもうしばらく降り続けることを、期待するばかりだ。